小学2年生の時に兄の背中を追って、本格的にサッカーを始める。東久留米ウィンズに入団。人見知りな性格もあって、最初はそこまで乗り気ではなかったが、小さな成功体験を重ね、少しずつ成長を実感できてきたことで、サッカーに没頭し始める。学校が終わったらすぐにボールを蹴りにいくのが日課で、あたりが暗くなるまでひたすらにボールを触り続けた。
所属していたチームとは別に、「TOC」というスクールに通う。そこではサッカーの練習後に語学の勉強ができ、小学6年生の時に1週間オーストラリアに行った。
この環境で教えられた「一流のサッカー選手になるには、人としても一流でなければいけない。」という言葉が、僕がサッカー以外のことにも目を向けるようになるきっかけを生み、自分の人生を変えたターニンングポイントになる。この時に元サッカー日本代表の中田英寿さんのように、サッカーでの活躍はさることながら、ピッチ外の社会貢献に精力的に取り組んでいる人間になりたいと思い始める。
中学時代は都内の街クラブであるFCプラウドに入団。この環境で徹底的に止めて・蹴るの練習をしていたことで、基礎の大切さを実感した。また、当時の監督から「今いる環境は当たり前じゃない。感謝しなさい。」と言われ続けていたことを今でも覚えている。この3年間で今の下澤悠太という人間が形成できた。
その後柏レイソルU-18に入団。少しずつ「プロサッカー選手になる」という夢に近づいてくる。しかし、周りの選手は世代別代表ばかり、競争の激しさを目の当たりにし、刺激だらけの毎日。この環境に入り、自分のサッカー観が180度変わる。言語化をすることの大切さを肌で感じ、人生の大きなターニングポイントの一つ。2年時の途中からAチームのスタメンで出始め、3年時にはキャプテンを務める。しかしトップチーム昇格は叶わず。
高卒でプロへの道が叶わず法政大学に進学。怪我に悩まされることが多かったものの、1年時からトップチームの試合に絡み、総理大臣杯・インカレで優勝を経験。その傍らで、以前から興味があった社会問題を学んだり、3年間毎日、日々の学びをブログを書き続ける。この4年間でより一層、サッカー以外の学びがサッカー選手としての成長につながることを実感する。
法政大学卒業後、当時J3のブラウブリッツ秋田に入団。「プロサッカー選手になる」という小さい頃の夢を叶える。しかし、コロナウイルスの蔓延によりサッカーができない状態になり、その中でチームを助けるべく、発起人としてクラウドファンディングを立ち上げ、ピッチ内外でクラブに貢献するために模索する。1年目は24試合に出場し、J3優勝&J2昇格を経験する。2021シーズンは公式戦の出場が0試合となり契約満了を経験する。
その後、トライアウトを経て、2022年シーズンより、J3テゲバジャーロ宮崎に所属。